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仲俣暁生『失われた「文学」を求めて【文芸時評編】』

◉発売日:2020年10月6日

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:四六判・並製・344頁

◉ISBN978-4-908624-10-0 C0095

◉定価:本体2700+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624100

日本の文芸シーンは現在、まごうことなく沈滞している。だがその沈滞は、小説家が書くべきことを失ったからではない。書くべきことがありながら、そこから目を背けているか、書きうる技能あるいは勇気が欠如しているからだ――。

政治を語る言葉を失った日本の小説、震災後文学が崩壊した「美しい顔」盗用問題、ポストモダン文学から「ド文学」への退行、新自由主義による〈鬱〉からの〈恢復〉、「新潮45」休刊事件、中国SFの台頭、そしてコロナの時代の文学とは……。批評なき時代に「文学」の未来は存在するのか? 取り上げた小説は50作品以上! 小説の「現在」と格闘し続けた45カ月! 2010年代を俯瞰し2020年代の潮流を先読みする最強の文芸時評かつ小説ガイド!

【著者プロフィール】

仲俣 暁生(ナカマタ・アキオ) 評論家・編集者。1964年、東京生まれ。「シティロード」「ワイアード日本版」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、現在はフリーランス。著書に『ポスト・ムラカミの日本文学』(朝日出版社)、『極西文学論―Westway to the world』(晶文社)、『〈ことば〉の仕事』(原書房)、『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、『失われた娯楽を求めて―極西マンガ論』(駒草出版)など、共編著に『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』(バジリコ)、『グラビア美少女の時代』(集英社新書)、『ブックビジネス2.0―ウェブ時代の新しい本の生態系』(実業之日本社)、『編集進化論―editするのは誰か?』(フィルムアート社)など。

【目次】

■はじめに:文学(へ)のリハビリテーション

■文芸時評――失われた「文学」を求めて

▼政治を語る言葉を失った日本の小説

  村田沙耶香『コンビニ人間』

  崔実『ジニのパズル』

▼単なる政権批判や反原発小説ではなく

  黒川創『岩場の上から』

▼「ゾンビ」ではなく「武者」を!

  古川日出男:訳『平家物語』

  羽田圭介『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』

▼孤軍奮闘で書き継いだ「新しい政治小説」

  星野智幸『星野智幸コレクション』全四巻

▼「読む人」「書く人」「作る人」のトライアングル

  長谷川郁夫『編集者 漱石』

  渡部直己『日本批評大全』

▼現代におけるフォークロア

  村上春樹『騎士団長殺し』

▼ポストモダンの行き止まりとしての「ド文学」

  又吉直樹『劇場』

▼「中核市のリアリズム」が出会った王朝物語

  佐藤正午『月の満ち欠け』

▼日本を迂回して世界文学へ

  東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』

▼「震災後」の現代文学の見取り図

  限界研:編『東日本大震災後文学論』

  「文藝」二〇一七年・秋季号

▼自分自身の場所を確保せよ

  レベッカ・ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』

▼迎撃に失敗した昭和・平成の男たち

  橋本治『草薙の剣』

▼現代文学の次の「特異点」とは?

  上田岳弘『キュー』 

▼「パラフィクション」と「ハード純文学」の間に

  佐々木敦『筒井康隆入門』

  小谷野敦『純文学とは何か』

▼プロテスタンティズムの精神

  松家仁之『光の犬』

▼ポストモダニストの「偽装転向宣言」か? 

  いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』

▼行き場を失った者たちが語る絶望の物語

  星野智幸『焰』

▼文芸が存在するかぎり終わることはない戦い

  古川日出男『ミライミライ』

▼現代中国のスペキュレイティブ・フィクション

  ケン・リュウ:編『折りたたみ北京――現代中国SFアンソロジー』

▼不可視の難民たちと連帯するために

  カロリン・エムケ『憎しみに抗って──不純なものへの賛歌』

  多和田葉子『地球にちりばめられて』

▼小説にとっての勇気とフェアネス

  古谷田奈月『無限の玄』

▼「震災(後)文学」という枠組みの崩壊

  北条裕子『美しい顔』

▼批評が成り立つ場としての「うたげ」

  三浦雅士『孤独の発明――または言語の政治学』

▼マンガによる「漫画世代」への鎮魂

  山本直樹『レッド 1969~1972』

▼「政治と文学」はいま、いかに語りうるか

  赤坂真理『箱の中の天皇』

▼「想像力」よりも「小説的思考力」を

  「新潮」二〇一八年一二月号・特集「差別と想像力」

▼ポスト冷戦時代に育った世代の想像力

  ミロスラフ・ペンコフ『西欧の東』

▼韓国にとっての「戦後」 

  ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

▼批評家が実作に手を染める時代とは

  陣野俊史『泥海』

▼新自由主義からの生還と再起

  マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム──「この道しかない」のか?』

  絲山秋子『夢も見ずに眠った。』

▼元号や天皇(制)の無意味を語るために

  「文藝」二〇一九年夏季号

  古谷田奈月『神前酔狂宴』

▼「改元の後、改元の前」に芥川の幽霊が語ること

  デイヴィッド・ピース『Xと云う患者――龍之介幻想』

▼空疎な「日本語文学」論から遠く離れて

  リービ英雄『バイリンガル・エキサイトメント』

▼中国大河SFは人類滅亡と革命の夢を見る

  劉慈欣『三体』

▼没後二〇年、「妖刀」は甦ったか?

  平山周吉『江藤淳は甦える』

▼神町トリロジーの「意外」ではない結末

  阿部和重『Orga(ni)sm』

▼タブーなき世界に「愛」は可能か

  ミシェル・ウエルベック『セロトニン』

▼森の「林冠」は人類の精神をも解放する

  リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』

▼寡作な天才SF作家、一七年ぶりの新作

  テッド・チャン『息吹』

▼受け手のないところに打たれたノックを拾う 

  加藤典洋『大きな字で書くこと』

▼友の魂に呼びかける言葉

  崔実『pray human』

▼「当事者研究」が投げかける問い

  長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』

▼政治と文学の乖離を示すシミュレーション小説

  李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』

▼「コロナ後文学」はまだ早い

  パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』

  テジュ・コール『苦悩の街』

▼国を失ったHirukoたちが〈産み〉だすもの

  多和田葉子『星に仄めかされて』

■あとがき

 

【前書(抜粋)】

 二〇一六年の秋から二〇二〇年の初夏にかけて毎月、文芸時評を書いていた。本書は四五本にわたるその文章を、時系列に沿って再録したものである。

 この時評は連載時、〈文学へのリハビリテーション〉と題されていた。なぜ〈リハビリテーション〉なのか。なぜ〈文学へ〉なのか。まずそれを語るべきだろう。

 二〇〇〇年代の最初の一〇年(いわゆる「ゼロ年代」)のあいだ、同時代の小説を読み、それについて文章を書くことは、私にとって必然性のある営みだった。グローバリゼーションや情報化/工学化の進展、中東諸国やアフガニスタンでの戦火と、それらに対する報復として欧米で相次いだテロといったこの時代の徴(しるし)は、日本の同時代の小説にも鮮明に刻印されているように思えたし、もちろん、それらに対する根強い抵抗も見てとれた。小説を読む行為は痛切であると同時にリアルであり、時に愉快だった。

 いま思えば、同時代の小説に対する私の共感と理解の土台は、一九九〇年代以後に相次いでデビューした、自分とほぼ同世代の作家たちが、それぞれに個性的な作風を確立していったことだった。彼ら彼女らの小説に励まされ、私はこの時代に文芸評論集を三冊書いた。

 同時代の小説との安定した関係が崩れたのは――私以外の者にとっても、そうだったかもしれない――二〇一一年の東日本大震災によってである。小説をそれまでのようには素朴に読めなくなり、ノンフィクションを読む日々がしばらく続いた。ありていに言えば、小説といったいどのような関係を切り結んだらよいのか、よくわからなった。小説を読むのに欠かせない想像力を行使できず、私は文字どおり途方に暮れていた。本書のもとになった連載が〈リハビリテーション〉という言葉をタイトルに含むのは、なにより書き手の自分自身が、新たな小説との出会いによって、この空白状態から恢復したかったからである。

 いまこうして振り返ると、二〇一六年から二〇二〇年の間に書かれ、時評で私がとりあげた小説には、いくつかの共通の主題がはっきりと見てとれる。その最大のモチーフも〈恢復〉だった。

 いったい何からの? 東日本大震災後に書かれた小説は「震災後文学」とも呼ばれ、その多くは、この災厄によって損なわれた自己の――あるいは誰かの――〈恢復〉をモチーフとしていた。新自由主義やグローバリゼーションといった逆らいがたい趨勢――本書でとりあげたマーク・フィッシャーの言葉を用いるならば「資本主義リアリズム」――によって損なわれた自己からの、あるいはそれをもたらした〈時代そのもの〉からの〈恢復〉を希求した小説もあった。だがいまとなっては、そこに託されていたのは、もっと大きなものだったように思える。それは「文学」そのものの〈恢復〉である。(以下略)

 

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後藤明生『四十歳のオブローモフ【イラストレイテッド版】』

巻末解説:荻原魚雷(文筆家)

◉発売日:2020年4月21日

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:A5判・並製・304頁

◉ISBN978-4-908624-09-4 C0093

◉定価:本体2,400+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624094

時間に追われる現代人よ怠け者で何が悪い!?

荻原魚雷さん(文筆家)激烈推薦!

四十歳を迎えた小説家・本間宗介は、ロシアの小説『オブローモフ』の主人公のように「怠け者」として生きることを望んでいた。しかし、妻子とともにマンモス団地に暮らす彼に、そのような生活は許されない……。父親として大人として逃げられない数々の日常の「事件」をユーモラスに描いた著者初の長編小説。50年前の連載時に掲載された山野辺進による15点の挿画を再録! 「みんながみんな立派な大人になるわけでもない。そういうことを知っておくのは、心おだやかに齢を重ねていく上で、とても大事なことだ」――荻原魚雷

▶︎オブローモフ【Oblomov】:ロシアの作家ゴンチャロフの長編小説。1859年発表。貴族青年の主人公オブローモフの、才能はあるが無気力で怠惰な余計者の生活を、進歩的な娘オリガとの恋愛を通して描く。以後、オブローモフの名は怠け者の代名詞となった。(以下略)――『大辞林」第三版より

【もくじ】

●四十歳のオブローモフ
 《眠り男》の眼
 マンモス団地の日常
 誕生日の前後
 旅の空
 根無し草
 前厄祓い
 捨て犬
  後記
●解説『大人になりきれない大人のための教養小説』荻原魚雷

【本文抜粋】

 まことに平凡な事実であるが、本間宗介は団地居住者である。東京都心から地下鉄で約一時間の距離にある、世帯数七千といわれるマンモス団地だ。

 そのうち約九十パーセントは、東京へ通勤するサラリーマン世帯であるが、宗介は一日じゅう団地で暮している。3DKの間取りの北向きの四畳半に据えつけた坐机に向って原稿を書くのが、彼の仕事だったからだ。

 一口に原稿といっても、もちろんいろいろある。新聞や雑誌に随筆や書物の批評などを頼まれることもあるが、いま彼が取りかかっている最も大きな仕事は、昨年の夏に出かけたシベリアを舞台にした小説である。彼の希望としては、それを一大長篇に仕上げたいのであるが、果してうまくゆくかどうか、いまのところはまだ、はっきりわからない。勝算と不安が五分五分、というのが現在の彼の胸中のようだ。そのために彼は、焦ら焦らしたり不機嫌になったりすることもあった。

 しかし、だからといって、年じゅう机の前にへばりついているわけではない。本間宗介は、だいたい二月か三月に一度は、旅に出かける。彼は決して、いわゆる旅行好きといったタイプの人間ではない。どちらかといえば、出不精である。時間を守ることがニガ手である。時刻表というものを眺めるのが飯より好き、といった旅行人間とは、およそ正反対の人間である。ときどき彼は、《眠り男》になりたい! と空想することがあった。《眠り男》すなわち、現代の《三年寝太郎》であり《ものぐさ太郎》である。しかし、妻子を抱えた《眠り男》などは到底、考えられない。彼の理想はまた、ロシアの怠け者《オブローモフ》であった。しかし《オブローモフ》は十九世紀の貴族で大地主だ。彼の領地オブローモフカ村は、たぶんこのマンモス団地よりも広大だろう。彼はその村を、農奴三百五十人とともに、遺産として相続したのである。ゴンチャロフの小説『オブローモフ』の主人公は、そういう怠け者だった。したがって、団地住いのオブローモフなどというものは、これもまた到底、考えられない。

 そんなわけで、出不精ではあったが、本間宗介は二月か三月に一度くらい旅に出かけた。雑誌に旅行記を書くことも、彼の仕事の一つだった。

 それから、一月に一度くらいの割合いでテレビに出ている。朝、ちょうどサラリーマンの出勤時間に放送される、一種の社会風俗番組のレポーターであるが、そのため彼の住んでいる団地内では、だいぶ顔をおぼえられたようだ。

 しかし、そのことは果して、喜ばしいことであるかどうか? ある日のこと彼は、妻の正子から次のような注意を受けた。

「寝巻を着たままベランダで煙草を吸わないで下さい」

【お詫びと訂正(正誤表)】

 本書につきまして、下記の訂正がございます。ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

 ▶︎40ページ8〜9行目

 【誤】いやしいというくも日本国家の郵便局

 【正】いやしくも日本国家の郵便

◉後藤明生|ごとう・めいせい(1932年4月4日―1999年8月2日)

「内向の世代」の作家として知られる後藤明生は、1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡(現在の北朝鮮)に生まれる。13歳で敗戦を迎え、「38度線」を歩いて超えて、福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を失う。当時の体験は小説『夢かたり』などに詳しい。旧制福岡県立朝倉中学校に転入後(48年に学制改革で朝倉高等学校に)、硬式野球に熱中するも、海外文学から戦後日本文学までを濫読し「文学」に目覚める。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し「ゴーゴリ病」に罹った。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学。55年、小説「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクール入選作として「文藝」11月号に掲載。五七年、福岡の兄の家に居候しながら図書館で『ドストエフスキー全集』などを読み漁る。58年、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。自信作だった「ドストエフスキーではありません。トリスウィスキーです」というコピーは没に。59年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年3月、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挾み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彥らに高く評価され注目を集める。89年より近畿大学文芸学部の教授(のちに学部長)として後進の指導にあたる。99年8月2日、肺癌のため逝去。享年67。小説の実作者でありながら理論家でもあり、「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」という理念に基づいた、「読むこと」と「書くこと」は千円札の裏表のように表裏一体であるという「千円札文学論」などを提唱。また、ヘビースモーカーかつ酒豪としても知られ、新宿の文壇バー「風花」の最長滞在記録保持者(一説によると48時間以上)ともいわれ、現在も「後藤明生」の名が記されたウイスキーのボトルがキープされている。

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後藤明生『小説は何処から来たか【21st Century Edition】』

解説:巻末解説:樫原辰郎(映画監督・評論家)

◉発売日:2020年1月24日

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:A5判・上製・336頁

◉ISBN978-4-908624-08-7 C0093

◉定価:本体3,600+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624087

「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」

独自の小説論を提唱し実践してきた小説家・後藤明生が

これまでに発表した原稿を自らREMIXして

日本近代文学史の書き直しに挑んだ小説論の集大成

小説の未来は小説の過去にある

「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」――。独自の小説論を提唱し実践してきた小説家・後藤明生が、過去に発表した原稿を自らの手で「REMIX=再編集」し、日本近代文学史の書き直しに挑んだ小説論の集大成。二葉亭四迷→日本文学とロシア文学→夏目漱石→芥川龍之介→永井荷風→宇野浩二→牧野信一→横光利一→太宰治→花田清輝→武田泰淳→鮎川信夫→丸谷才一→古井由吉……。巻末には著者が自ら編纂した「世界小説年表」を掲載。小説の未来は小説の過去にある!?

【もくじ】

プロローグ――柄谷行人の『日本近代文学の起源』と『反小説論』

第1章❖日本近代小説の夢と現実――二葉亭四迷

第2章❖喜劇としての近代――日本文学とロシア文学

第3章❖二十世紀小説としての新しさ――夏目漱石

第4章❖方法としてのテキスト――芥川龍之介

第5章❖「生理学」の方法――永井荷風

第6章❖「都市小説」の構造――宇野浩二と永井荷風

第7章❖夢のプログラム――宇野浩二と牧野信一

第8章❖自意識の喜劇――横光利一

第9章❖反復と引用のエクリチュール――太宰治

第10章❖超ジャンルと楕円Ⅰ――花田清輝

第11章❖超ジャンルと楕円Ⅱ――武田泰淳

第12章❖文体的思考――鮎川信夫

第13章❖フィクションの変奏――丸谷才一

第14章❖「戦中少年」の体験と方法――古井由吉

第15章❖ジャンルと形式の起源Ⅰ

第16章❖ジャンルと形式の起源Ⅱ

世界小説年表

あとがき

新版解説❖樫原辰郎(映画監督・評論家)

【まえがき】

小説は何処へ行くか、と問われるときは、小説の危機か衰弱か、相場は大体決まっている。そしてその問いは、小説は何処から来たか、という問いとほぼ同じである。衰弱した小説とは、小説は何処から来たか、というジャンルとしての自己反省を忘れた小説だからである。また、混血=分裂による超ジャンル性、すなわち「いかがわしさ」の自意識を忘れた小説だからである。つまり、小説の未来は小説の過去にある。「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」とドストエフスキーはいった。衰弱した小説は『外套』を持たぬ小説である。――(本書「プロローグ」より)

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後藤明生『挾み撃ち【デラックス解説版】』

解説:多岐祐介、奥泉光&いとうせいこう、平岡篤頼、蓮實重彦

◉発売日:2019年7月2日

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:A5判・並製・288頁

◉ISBN978-4-908624-07-0 C0093

◉定価:本体2,200円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624063

物語の筋を追っても意味なし!

そんな「小説らしくない小説」が、

なぜ「日本現代文学」の傑作と称され読み継がれているのか?

解説だけで全288頁のうち80頁!

文芸評論の重鎮たちが様々な視点から読解

遠い昔に失われた外套を探すため、記憶を頼りに各地を訪ね歩く主人公。しかし主人公の「語り」は「とつぜん」に脱線し、読者をも迷路へと誘ってゆく――。「内向の世代」を代表する小説家・後藤明生の代表作にして「日本現代文学の傑作」とも評される小説『挾み撃ち』。しかし、「面白い!」と魅了される人々の一方で、「まったく理解できない!」と困惑する読者も少なくない。小説『挾み撃ち』の面白さの根源は何か?――。本書では、本作とともに、蓮實重彦、平岡篤頼、奥泉光&いとうせいこう、多岐祐介といった文芸評論の重鎮が、それぞれの視点で『挾み撃ち』を解説。解説だけで全288ページのうち約80ページも! 多様な角度からの読解で、この「日本現代文学の傑作」の魅力に迫る。

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後藤明生『笑いの方法――あるいはニコライ・ゴーゴリ【増補新装版】』

◉発売日:2019年2月5日

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:A5判・上製(角背)・函入・336頁

◉ISBN978-4-908624-06-3 C0098

◉定価:本体3,700円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624063

他者を笑う者は他者から笑われる!

ゴーゴリ作品の真髄に迫った名著

【増補新版特典】

後藤明生が自ら翻訳したゴーゴリの『鼻』と

恩師・横田瑞穂氏と共訳した『外套』を初再録!

後藤明生「没後」20年、ゴーゴリ「生誕」210年! ゴーゴリ作品の真髄である「笑い」に迫った名著が、大幅な増補&新装版で蘇る。新版特典として、後藤が翻訳したゴーゴリの『鼻』と恩師・横田瑞穂氏と共訳した『外套』を初再録。伝説の名訳が完全版で掲載されるのは実に40年ぶり。「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出て来た」というドストエフスキーの名文句の真意とは? 他者を笑う者は他者から笑われる!?——。これまで誤解され続けたゴーゴリの「笑い」を刷新する後藤の孤軍奮闘ぶりをご覧あれ! 

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大橋弘『ミクロコスモス――森の地衣類と蘚苔類と』

◉発売日:2018年9月10日

◉解読:解説エッセイ:田中美穂(古書店「蟲文庫」店主) 

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:四六判変形・並製・コデックス装・112ページ

◉ISBN978-4-908624-05-6 C0072

◉定価:本体1850+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624056

◉森の中にある、さらに小さな森――苔や菌類たちの摩訶不思議な美しき世界

ここはジブリの世界か? それともアリスの世界か? 写真家・大橋弘が30年以上も歳月をかけて撮影し続けてきた森の中に生息するコケ植物(蘚苔類)や菌類・藻類(地衣類)。まさに「ミクロコスモス」と称したくなる、美しくもありファンタジックでもある「森の小宇宙」。そこにたたずむと感じる、不意に森の一部になってしまうような緊張感と心地よさ……。人間の視点を離れ、小人になってミクロの森に分け入っていくような、そんな愉快な楽しみを教えてくれる一冊。

大橋弘(おおはし・ひろし)
写真家。1946年、東京都中野生れ。71年、東京綜合写真専門学校卒業。主な出版物(写真集)に『モスコスモス――苔の宇宙』、『日本の手仕事――百年の技、千年のかたち』(共著)、『日本の正しい調味料』(共著)、『1972 青春 軍艦島』、『はたらく刃物――素材と道具、そして職人仕事の博物誌』(共著)など多数。

田中美穂(たなか・みほ)
古本屋「蟲文庫」店主。1972年、岡山県倉敷市生まれ。1994年、同市内に古本屋「蟲文庫」を開業、2000年に移転、現在にいたる。著書に『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫)、『苔とあるく』『亀のひみつ』『星とくらす』(WAVE出版)、『ときめくコケ図鑑』(山と渓谷社)、編著に『胞子文学名作選』(港の人)などがある。

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後藤明生『引揚小説三部作――「夢かたり」「行き帰り」「嘘のような日常」』

◉発売日:2018年4月2日

 

◉解読:山本貴光(文筆家・ゲーム作家)

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

◉造本:A5 判・上製(角背)・函入・2段組・448 ページ

◉ISBN978-4-908624-01-8 C0093

◉本体5,555円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624049

 

◉「お母さん、いまわたしはどこにいるのでしょう? わたしが帰る場所はあるのでしょうか?」

日本の植民地だった朝鮮半島で「軍国少年」として育ち、敗戦のため生まれ故郷を追われ、その途上で祖母と父を亡くし、命がけで「38 度線」を超えて内地に引揚げてきた。しかし、敗戦から何年が経っても、心の奥底には「日本」という国家や「日本人」に対する違和感を抱え、自らを日本人でありながら「異邦人(エトランゼ)」のように感じていた――。そんな引揚者たちの「失われた故郷」での美しき想い出、ソ連侵攻による恐怖、国家に対する幻想と崩壊、そして、不条理に奪われた「アイデンティティ」を取り戻すための葛藤……。作者自身の引揚体験を描いた『夢かたり』『行き帰り』『噓のような日常』の三作品を完全版で所収! こんな時代だから知ってほしい――。敗戦後、植民地から引揚げてきた日本人たちの日本という国家や日本人に対する複雑な想いを。

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後藤明生『壁の中』【新装普及版】&【新装愛蔵版】

◉発売日:2018年12月25日

◉作家解読:多和田葉子(小説家・詩人)

◉作品解読:坪内祐三(評論家・随筆家)

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ)

【新装普及版】

◉造本:A5判・並製・PUR製本・680頁

◉ISBN978-4-908624-02-5 C0093

◉定価:本体3,700円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624025

【新装愛蔵版】

◉造本:A5 判・上製・PUR 製本・680 頁・貼函・別冊写真集(カラー36 頁)

◉ISBN978-4-908624-03-2 C0093

◉定価:本体12,000 円+税

◉愛蔵版特典① 著者愛用の落款による検印入り

◉愛蔵版特典② 未発表作品を含む8作のレプリカ生原稿による写真集を同梱

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624032

◉ポストモダン小説の怪作が読みやすくなった新組版&新装版で蘇る!

内向の世代を代表する小説家・後藤明生の名作『壁の中』が【新装普及版】と【新装愛蔵版】で復刊されました! 古書価格の高騰により一部では「読みたくても読めなかった小説No.1」とも言われていましたが、読みやすくなった新たな組版(1段組)かつ新装幀で甦りました。ドストエフスキー、ゴーゴリ、カフカ、聖書、永井荷風などを俎上に載せ、アミダクジ式に話を脱線させながら読者を迷宮へと誘い込む「インターテクスチュアリティ」の極北は、まさかの官能小説? キャンパスノベル? 妄想ミステリー? 堂々の680ページ&原稿用紙1700枚! 必読の巻末付録には、多和田葉子さんによる「作者解読」と坪内祐三さんによる「作品解読」を掲載。しかも【復刻愛蔵版】では、「①著者が愛用した落款による検印入り」かつ「②未発表作品を含む8作のレプリカ生原稿による別冊写真集(32頁)を同梱」という2大特典が! 後藤明生ファンなたずとも小説ファンなら1度は読んでおきたい垂涎の1冊です。

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後藤明生『アミダクジ式ゴトウメイセイ【対談篇】』

◉発売日:2017年5月17日

◉造本:A5 判・上製(角背)・函入・2段組・448 ページ

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ​(ステュディオ・パラボリカ)

◉ISBN978-4-908624-00-1 C0093

◉本体価格:3,800 円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624001

◉没後18年・待望の新刊は初の対談集

名著『挾み撃ち』で知られる小説家・後藤明生――。電子書籍による復刊や選集『後藤明生コレクション』の刊行もスタートし再評価の機運が高まっている。収録した計22本の対談では、五木寛之、小島信夫、蓮實重彥、柄谷行人、島田雅彦らを相手に、敗戦による引揚体験や、小説の技法・文体・喜劇性、ゴーゴリやカフカなど海外文学からの影響、日本近代文学の起源などをテーマに、アミダクジのように話を脱線させながら饒舌に語り尽くす。後藤ファン必携の書。『座談篇』も同時刊行。

◉目次

▶︎五木寛之:文学における原体験と方法(1969年)

▶︎三浦哲郎:追分書下ろし暮し(1974年)

▶︎黒井千次:父たる術とは(1974年)

▶︎三浦哲朗:作家の話『めぐり逢い』をめぐって対談(1976年)

▶︎岡松和夫:「厄介」な世代(1976年)

▶︎山口昌男:失われた喜劇を求めて(1977年)

▶︎秋山駿:文体について(1977年07)

▶︎江川卓:ロシア文明の再点検(1980年)

▶︎三枝和子:女をめぐって(1981年)

▶︎三浦雅士:「十二月八日」に映る内向と自閉の状況(1982年)

▶︎別役実:何がおかしいの?(1984年)

▶︎小島信夫:文学は「隠し味」ですか?(1984年)

▶︎松下裕:チェーホフの面白さ(1987年)

▶︎富岡幸一郎:後藤明生と「首塚の上のアドバルーン」(1989年)

▶︎蓮實重彦:小説のディスクール(1990年)

▶︎菅野昭正:横光利一往還(1990年)

▶︎渡部直己:大谷崎を解錠する(1991年)

▶︎三浦清宏:文学教育の現場から(1992年)

▶︎柄谷行人:文学の志(1993年)

▶︎島田雅彦:親としての「内向の世代」(1993年)

▶︎菅野昭正:小説のトポロジー(1995年)

▶︎佐伯彰一:小説の方法意識について(1997年)

 

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後藤明生『アミダクジ式ゴトウメイセイ【座談篇】』

◉発売日:2017年5月17日

◉造本:A5 判・上製(角背)・函入・2段組・448 ページ

◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ​(ステュディオ・パラボリカ)

◉ISBN978-4-908624-01-8 C0093

◉本体価格:3,800 円+税

◉お求めは【版元ドットコム】のHPより

http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908624001

◉全て単行本初収録・戦後文学の貴重な証言満載の座談集

後藤明生はじめ、阿部昭、黒井千次、坂上弘、古井由吉など、サラリーマンをしながら小説を執筆した「内向の世代」の作家たちが集結した「伝説」の連続座談会をはじめ、1970年代から1990年代に行われた、全て単行本初収録の座談集。また、実作者でありながら優れた理論家でもあった後藤が提唱した「小説を読まずに小説を書いた人はいない」という考えに基づく「千円札文学論」など独自の文学論を開陳。全ての文学ファン&研究者が必携の書。『対談篇』も同時刊行。

◉目次

▶︎現代作家の条件:阿部昭+黒井千次+坂上弘+古井由吉(1970年)

▶︎現代作家の課題:秋山駿+阿部昭+黒井千次+坂上弘+古井由吉(1970年)

▶︎現代文学の可能性:阿部昭+黒井千次+坂上弘+古井由吉(1972年)

▶︎小説の現在と未来:小島信夫+阿部昭(1972年)

▶︎飢えの時代の生存感覚:加賀乙彦+秋山駿(1973年)

▶︎創作と批評:阿部昭+黒井千次+坂上弘+古井由吉(1974年)

▶︎外国文学と私の言葉:中野孝次+飯島耕一(1978年)

▶︎「方法」としてのゴーゴリ:小島信夫+キム・レーホ(1982年)

▶︎小説の方法:小島信夫+田久保英夫(1989年)

▶︎日本文学の伝統性と国際性:中村真一郎+大庭みな子+鈴木貞美(1990年)

▶︎日本近代文学は文学のバブルだった:蓮實重彥+久間十義(1996年)

▶︎「内向の世代」の現在 :黒井千次+坂上弘+高井有一+田久保英夫+古井由吉+三浦雅士(1996年)

▶︎われらの世紀の「文学」は:小島信夫+古井由吉+平岡篤頼(1996年)

◉後藤明生|ごとう・めいせい(1932年4月4日―1999年8月2日)

「内向の世代」の作家として知られる後藤明生は、1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡(現在の北朝鮮)に生まれる。13歳で敗戦を迎え、「38度線」を歩いて超えて、福岡県朝倉郡甘木町(現在の朝倉市)に引揚げるが、その間に父と祖母を失う。当時の体験は小説『夢かたり』などに詳しい。旧制福岡県立朝倉中学校に転入後(48年に学制改革で朝倉高等学校に)、硬式野球に熱中するも、海外文学から戦後日本文学までを濫読し「文学」に目覚める。高校卒業後、東京外国語大学ロシア語科を受験するも不合格。浪人時代は『外套』『鼻』などを耽読し「ゴーゴリ病」に罹った。53年、早稲田大学第二文学部ロシア文学科に入学。55年、小説「赤と黒の記憶」が第4回・全国学生小説コンクール入選作として「文藝」11月号に掲載。五七年、福岡の兄の家に居候しながら図書館で『ドストエフスキー全集』などを読み漁る。58年、学生時代の先輩の紹介で博報堂に入社。自信作だった「ドストエフスキーではありません。トリスウィスキーです」というコピーは没に。59年、平凡出版(現在のマガジンハウス)に転職。62年3月、小説「関係」が第1回・文藝賞・中短篇部門佳作として「文藝」復刊号に掲載。67年、小説「人間の病気」が芥川賞候補となり、その後も「S温泉からの報告」「私的生活」「笑い地獄」が同賞の候補となるが、いずれも受賞を逃す。68年3月、平凡出版を退社し執筆活動に専念。73年に書き下ろした長編小説『挾み撃ち』が柄谷行人や蓮實重彥らに高く評価され注目を集める。89年より近畿大学文芸学部の教授(のちに学部長)として後進の指導にあたる。99年8月2日、肺癌のため逝去。享年67。小説の実作者でありながら理論家でもあり、「なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからだ」という理念に基づいた、「読むこと」と「書くこと」は千円札の裏表のように表裏一体であるという「千円札文学論」などを提唱。また、ヘビースモーカーかつ酒豪としても知られ、新宿の文壇バー「風花」の最長滞在記録保持者(一説によると48時間以上)ともいわれ、現在も「後藤明生」の名が記されたウイスキーのボトルがキープされている。

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